新生児gps感染症でnicuに入院した時の話

どうもあんぽんたんママです。
今日は娘が産まれてすぐに新生児gps感染症にかかりnicuに入院した話をさせていただきます。


初めに伝えますが嘘のように回復し753も迎えられ、わんぱく少女ですのでご安心くださいね✨

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あくまで伝えてたいことは

何一つ当たり前な事はない、命の大切さについて

同じくnicuにお子さんが入院している親御さんに不安や心配があるかと思います、あくまでも私と娘の体験談ですので一例として考えていただけたらと思います


娘が産まれてた日のこと

娘が産まれたのは妊娠40週0日予定日ぴったりで大安の日、出産予定日の事もあり旦那は仕事の休みをとっていたので安心したのを覚えています。

前日の夜から陣痛があり痛くて病院に電話するも、陣痛が10分間隔になるまで待ってください。

朝方まで寝れず、座る事もできずにリビングを歩き回っていました。陣痛の間隔は10分になったり20分になったり一定せず不規則だったのを覚えています。再度病院へ連絡をし、お願いをして朝1番の診察で見てもらう事になりました。

時刻はam8時:30から診察でした。
その時は子宮が4センチ程開いておりました。

大学病院での出産

実はあんぽんたんママは持病があり薬を服薬はしての出産のため、個人病院での出産は断われました。

出産リスクがあると判断され大学病院での出産です。何かあった時のために周産期母子医療センターがある大学病院と決まりました。

個人では予約する事はできず、産婦人科で赤ちゃんの現在の状況と紹介状+持病があり通っている病院からの紹介状の2つの病院からそれぞれ紹介状を頂き大学病院へ受診しました。

大学病院のメリット

▪️リスク出産の場合安心して出産できる

▪️何かあった場合の体制が整っている

大学病院のデメリット

▪️予約制ですが待ち時間が長く予約時間から2時間〜4時間ほど待つ事は普通でした。

▪️先生が多いからか担当の先生が決まっておらず毎回診察は違う先生になる

デメリットも書きましたが最終的には感謝しかありません。

通院中は待ち時間が長い事が苦痛でしたが、自分が出産であんな事になるとは思いませんでした。

無事に出産と思いきや

am9:00には分娩室に入り産まれたのは6時間後のpm15:00のこと。

産声をあげる赤ちゃんに違和感がありました。
“オギャー“ではなく、何となく、どもっている元気がない泣き声だったからです。

助産師さんは大丈夫と言ってくれましたが予感は的中して、すぐに小児科の先生たちが集まってきました。

そして産まれて10分も絶たない間にnicuに運ばれていきました。

出産したらカンガルーケアをして写真を撮ってなど考えていましたがカンガルーケアどころか一度も抱っこや触る事がないまま突然赤ちゃんが消えていきました。

一瞬にして血の気が引き体が凍りつきました。

精密検査

詳しい検査が出たのは産まれてから5時間後のpm20:00でした。
気を使ったのか旦那のみ呼ばれて話がありました。

検査結果

新生児gps感染症(B群溶血性連鎖球菌)

溶連菌による肺炎出血、呼吸障害になっておりました。

女性の膣内や肛門付近に比較的認められる細菌で妊婦さんの10%程度が保菌していると言われています。

妊婦さんがGBSに感染しているかどうかは、妊娠35〜37週に腟や直腸から検体を採取して、検査をして調べます。

新生児に感染すると、赤ちゃんが肺炎や呼吸障害、髄膜炎や敗血症などを起こす心配があるので、陣痛時や破水時、母体に点滴で抗菌薬を投与して産道感染を防ぎます。

ちなみに私は35〜37週に腟や直腸から検体を採取しても異常はなく、産道感染を防ぐために母体に点滴で抗菌薬を投与しておりました。

先生からの話

すごく稀な病気で新生児GBS感染症を発症する児は1%程度であり、日本での発症頻度は0.1%以下 (2,000~3,000分娩に1例)だそうです。

GBSに感染した赤ちゃんのすべてが病気になるわけではなく、病気を発症するのは1〜2%ほどです

赤ちゃんがGBSによる病気を発症する場合生まれてから6日目までに発症する「早発型」と、それ以降に発症するのが「遅発型」2種類に分かれる。

娘の場合は「早発型」でした。母子感染で妊娠中にすでに感染していた可能性がある。

今日持ち堪えられるか、どうかにかかっている。
今日を乗り越えられるかどうか。

頭が真っ白になりました。
産後、間もない体でしたが、車椅子など乗らずに旦那にしがみつきnicuに急ぎました。

まだ抱っこも触ることさえしていないのに、今日居なくなる可能性があるなんて信じられません。

nicuに行くと子供は沢山の機械に繋がれチューブをしてケースに入ってました。それを姿を見た時に直視できない自分の弱さを感じました。

先生には“赤ちゃんが、どのくらい生きたいか“
本人の生命力にかかっている。

山を乗り越えて生存できたとしても後遺症が残る確率は4割程度と言われました。

呼吸が安定して人工呼吸器が外れるまで早くても2ヶ月〜大人になっても外れない可能性もあるので覚悟してください。
輸血が必要な場合のサインをして部屋に戻りました。

涙しか流れず、とりあえず話をする気にはなれないので旦那には一度帰ってもらいました。

1人の個室

不思議なもので前日も陣痛により一睡もしていないのに、その日も一睡もしないまま、また朝になりました。ご飯も一口もずっと食べていないのにお腹も空きません。

産後子供とゆっくり過ごそうと個室にしたのも虚しいだけで、他の赤ちゃんの声だけ響いて聴こえてきます。その度に自分の子供を思うと涙が出ました。

赤ちゃんはいないのに母乳はだけが出てきて搾乳機で絞り捨てるのを繰り返し、何の意味があるかさえ分かりませんでした。

家に着いた旦那から電話があり励ましがあるも、それすら辛く''ごめん''と謝ること、自分を責める事しかできませんでした。

おめでとうと言われる事なく迎えた出産でした。

乗り越えた子供

次の日、先生に再度呼ばれました。
とりあえず山を乗り越えて生命の危機は逃れた。

ただ、しばらく後遺症の検査や呼吸が安定するまではnicuからでれないとのこと。

とりあえずホッとしたのを覚えてます。
神様は信じていなかったのですが、昨晩ずっとお願いしていたことがありました。

“どんな子供でもいいので、元気にしてください“

後遺症により障害がでても生きてさえいて欲しい。
その時は私が頑張るから、お願いします。と何度も何度もお願いしました。

子供の経過

その後、娘はしばらく入院し治療を繰り返し回復して今ではわんぱく少女に変わりました。

よく笑う子で転んでも泣かない強い子ですよ。
娘は今や七五三も迎えられ来年幼稚園に入園

娘はたくさんの方に助けられて、ここまで大きくなれました

特に大学病院の産科・小児科・先生・助産師さん・保健師さん、たくさんの方々がサポートしてくださいました!!!!ありがとうございます☆

日々感謝して子育てをしています。

終わりに

出産は奇跡の連続です。
私はケースに入れられてチューブにつながれている娘に目を背けてしまいました。自分を責める事しかできませんでした。

本人が乗り越えられるのを信じて、ただ見守る。
簡単なことのようで、難しい、辛いですよね。

抱っこができなくても、母乳をあげられなくても母親が手を握ってあげるだけでも子供の治療になるそうです。母親のハンドパワーは凄いんですよ小児科の先生が教えてくれました(´∀`*)✨
私は子供の手を握るのも手が震えておりましたが。

子供は奇跡的に後遺症もなく回復しましたが、あの時どんな結果になっていても、私は娘に会えなかった事の方がを考えられません。

たまに考えるのですが、子供が笑って毎日を過ごしていける。

当たり前のようで、あたりまえではないのです。
それだけで十分じゃないかと思うのです。

子供が入院して心配で笑えないかと思います。
自然に笑える日がくるまで無理して笑わないで泣いてもいいと思います。

不安があるでしょうがお子さんが回復し自分の元へ帰ってくるまでの辛抱です。今はたくさん泣いて赤ちゃんがきたら笑顔で迎えてあげてくださいね。

そしてそんな経験をした私でさえ、イヤイヤ期などわんぱく娘にイライラする事もあります。

その度に“元気にして“と頼んだのは私だったと思い返します。

なんてことない出来事も迎えられたのは奇跡なんですよね。


以上あんぽんたんママでした。